Program note 2019 Spring

D. Scarlatti ドメニコ・スカルラッティ(1685-1757)

ドメニコ・スカルラッティはイタリアのナポリで生まれ、スペインのマドリッドで没した作曲家です。ドイツでは同じ年にJ.S.バッハとヘンデルが生まれています。人生の長い時間をスペインで過ごしたスカルラッティの音楽は驚くほど斬新で時代を超えた不思議な魅力に包まれています。彼の音楽を聴いているとナポリの民謡、カンツォーネの愛の言葉が聞こえてきたり、スペインの開放感に満ちたギターの弾ける音、アラブの影響を受けたイベリア半島の民族色の濃いリズムやメロディーが聴こえてき、その新鮮さにはいつも驚かされます。

スカルラッティは故郷イタリアでオルガンとチェンバロ名手として名声を高めますが、1720年にポルトガル王家の宮廷楽長として任命され、王女マリア・バルバラにチェンバロを教えるためにリスボンへ渡ります。王女はその後スペインの皇太子と結婚しますが、その時スカルラッティも彼女に付き添ってマドリードへ移り住み、スペイン宮廷に仕えながらそれ以降の人生をイベリア半島で過ごします。

スカルラッティは555曲の鍵盤楽器のためのソナタを残しています。その大半が王女マリア・バルバラのために書かれたもので、彼女がいかに素晴らしいチェンバリストだったかが伺えます。

急速な同音連打、凄まじい手の交差、刺激的な不協和音、快活な幅広い音の跳躍などはチェンバロでの表現の枠を超えたロマン派以降のヴィルトゥオーゾ技巧を思い浮かべるようで、その大胆さと自由さにびっくりさせられます。また瞑想的な静かなアリアにはイタリアのオペラの世界を感じます。

「ソナタ」と聞けばハイドン、モーツアルト、ベートーベンのウィーン古典派の多楽章形式のソナタを思い浮かべられるかもしれませんが、スカルラッティのソナタは全て単一楽章で2部形式というシンプルな構成になっています。

Bartók Béla バルトーク・ベーラ(1881-1945)

バルトークは1881年にハンガリーの小さな村(現在はルーマニア領)に生まれました。彼が生まれた地方はトランシルヴァニアと呼ばれていて、ラテン語で「森の彼方の国」を意味します。深い森、要塞のような山脈、牧草地や小麦畑が広がる地域で、そこでは古くから伝えられてきた「民謡」は宝とされてきました。バルトークはその民謡に魅了され、24歳の時に宝探しに出かけます。小さな村々を訪ね、そこに住む人々が口ずさむメロディー、踊りなどを記録し研究しました。そして村人が踊り、歌い継がれてきた音楽がバルトークの創作の源となりました。

この「ルーマニア民族舞曲」はバルトークが収集した素朴な民謡から生まれました。この6曲からなる個性的な組曲はバルトーク自身も好んでコンサートで弾いた曲で、バルトーク自身によってヴァイオリン編とオーケストラ編にのちに編曲されています。

「組曲」作品14はバルトークのピアノ作品の中で極めて重要な作品です。1916年に作曲された4楽章から成り立つ組曲は、新しく開拓されたピアノ技巧の領域を感じさせられます。バルトーク自身はここでは民謡は含まれていないと語っていますが、第1曲目はトランシルヴァニアの踊りが顔を覗かせています。第2曲目は十二音階で書かれていて、鋭く冷たい印象がありますがバルトークの表示は「遊び心を持って+静かにゆったりと」など楽章の雰囲気に反したことが書いてありシニカルで面白いです。第3曲目はアフリカ北部のアラブ系音楽の要素が含まれていて土を踏みしめながら踊る人々が見えてきます。第4曲目は無調の世界でとても繊細で美しい曲です。

最近使っていなかった楽譜を棚から出してきたらこの4曲目の楽譜の端に昔の走り書きが出てきました。単なる私の独り言です。「天使を見た。男でも女でもない。言葉はなく透き通るように私を読む。愛を持って意識と無意識の世界を飛ぶ」-St.Petersburg 2001

バルトークはこの組曲のことをインタビューでこう語っています。『組曲 作品14には民謡は含まれません。私自身が自ら創作した独自の主題だけに基づいています。この作品を作曲する間、ピアノ技巧をより洗練させ、変化させることによってより透明度の高いものにすることが頭の中にありました。より骨太かつ筋肉質でロマン派の後期や終盤の重々しく和声付けされた様式には相対する形、すなわち、分散和音やその他の修飾のような不必要な装飾が廃されたもので、それはより簡素な様式なのです。』

Franz Peter Schubert フランツ・ペーター・シューベルト(1797-1828)

シューベルトはウィーンで生まれウィーンで亡くなった数少ない純粋なウィーンの作曲家です。常に死と孤独と向き合いながら31歳で亡くなるまで作曲に没頭した天才です。シューベルトが遺した作品は700点あまりでその多数が美しい歌曲です。素晴らしい歌があってこそシューベルトの世界を完全に味わうことができると思います。どの作品をとってもシューベルトにしかありえない個性が宿っていて私にとってシューベルトは地上と天国を結んでくれる大切な作曲家です。

この4つの即興曲は1827年、シューベルトが亡くなる前の年に作曲されています。この年はシューベルトが最も尊敬していたベートーヴェンが亡くなった年でもあります。この出来事がどんなに大きな打撃をシューベルトに与えたことか想像できます。この頃の彼は、まるで人生の残りの時間を知っているかのように精力的に傑作を生み続けています。またこの年には歌曲集「冬の旅」が作曲されたのもこの年でした。24曲から成り立つ「冬の旅」は、失恋した若者が自分の街を捨て、唯一慰めの「死」を求めながらさすらいの旅に出るという、なんとも重く、孤独感に満ちた歌曲集です。この頃のシューベルトの健康状態はかなり悪く、回復する見込みがなく経済的にもどん底な状態にいました。周りの友人たちはシューベルトを助けようとしますがこの「冬の旅」を初めて聞いた時、あまりにもの暗さに驚愕したそうです。親友のショーバーが唯一言えた言葉が「菩提樹は気に入った」の一言だけ。きっとこれが彼の精一杯の気持ちだったのだと思います。

即興曲第1番はこの「冬の旅」に連結されているように思います。全体的に重々しく、故郷を懐かしむ若者がもう戻れない旅に出かけるような雰囲気が漂っています。オープニングの単音Gのフェルマータは既に不吉な予感を感じさせます。その音に続く主題は暗く、悲しみに満ちています。深い森へと入って行き、永遠と歩き続けますが、途中途中で微妙な主題の変化が見られます。瞬間的に現れる長調への転調は一瞬の慰め、救いでもありますが、またすぐ重いテーマに呼び戻されます。死へと向かうシューベルトの葬送行進曲、詩情に溢れた最も繊細で孤独なシューベルトの魂がここに確かに存在します。

第1番が「冬」としたら、第2番は長い冬が過ぎ、やっと太陽が顔を見せてくれた喜びを感じさせてくれる「春」です。まるでウィーンの森のそよ風や草木たちの会話が聞こえてくるようです。中間部ではレントラー、農民たちが踊る民族舞踊が登場します。

第3番は「無言歌」のようで「祈り」です。変ト長調という深く温かい調性で書かれていて、疲れ切った心に慰めと勇気を与えてくれます。シューベルトの残した作品の中で最も深く、優美な歌です。

第4番は「秋」を感じさせてくれる洗練された美しい曲です。まだ落ちていない枯葉がカラカラと風になびいているような、一枚一枚の枯れていく葉っぱの美しさ、愛おしさを感じます。中間部は暗く、憂いに満ちた美しいメロディーが登場し、秘めていた情熱が爆発します。


小さな野ばらと会話ができる純粋なシューベルトは偉大な大スターになりたかったのではありません。ただただひたすら音楽の中にいたかったのだと思います。