World of Beethoven and Debussy

「ベートーヴェンとドビュッシーの世界」Program note by Miki Yumihari

「今、運命が私をつかむ。やるならやってみよ運命よ!我々は自らを支配していない。始めから決定されてあることは、そうなる他はない。さあ、そうなるがよい!そして私に出来ることは何か?運命以上のものになることだ!」ーベートーヴェン

ベートーヴェンの音符一つ一つを見ているとまるで彼が’Muss es sein? Es muss sein!’「そうあらねばならぬか?そうあらねばならぬ!」と鋼鉄な意志を持って叫び語りかけてくるようです。当時の作曲家たちは一部の貴族をパトロンとして持ち、その人達を楽しませるために娯楽音楽を作曲していた中、ベートーヴェンの生き方は全くその反対でした。平民出身でリベラルで進歩的な考え方を持っていたベートーヴェンは主従関係を嫌い、抑圧する権力者たちに対し真正面から立ち向かい、人の平等と平和を讃え、ヒューマニズムに溢れた生き方を貫きました。「ぼくの芸術は、貧しい人々の運命を改善するために捧げられねばならない」と語ったベートーヴェンはただただ自身の内面から湧き上がる高い芸術に命をかけ、全人類のために作品を創り上げました。「苦悩を突き抜け歓喜へ至れ」と人間讃歌をうたいあげた’楽聖’ベートーヴェン。彼の掲げた苦悩は計り知れず、まるで彼が一人で全人類の苦悩を背負っているかのような強烈な印象を受けます。


28歳だったベートーヴェンはこのころから聴覚を失い始めていました。それは1802年に書かれた「ハイリゲンシュタットの遺書」に残されています。32歳の時に自殺を試み、二人の弟たちに向けて書いた遺書です。日ごと悪化する難聴への不安、悲しみ、絶望感の中で芸術家としての運命を全うするために肉体、精神的な病気を克服したいと願望するベートーヴェンの切実な思いが書かれていて涙なしでは読めません。ウィーンに住んでいた頃よくハイリゲンシュタットを散歩しました。遺書の書かれた家の近くの教会の鐘が聞こえなくなっているベートーヴェンの悲しみを考えました。音楽家にとって命の耳を奪われたのです。遺書の中にこのような言葉が残されています。「そのような死から私を引き止めたのはただ芸術である。私は自分が果たすべきだと感じている総てのことを成し遂げないうちにこの世を去って行くことはできないのだ」

ベートーヴェンの音楽が永遠に私たちの心に深い感銘と癒しを与えてくれるのは、どんな苦悩の中でも強靭な意志の力と情熱を持って乗り越えたベートーヴェンが存在したからだと思います。

L.v. ベートーヴェン(1770-1827) : ピアノソナタ 第5番 作品 10-1 ハ短調


このソナタは1797年、まだベートーヴェンが耳が聴こえた時期に作曲されています。エネルギッシュで若く、生きる勇気と希望に溢れたベートーヴェンの作品です。ボンからウィーンへ移り住んだ若いベートーヴェンを熱心にサポートしたブロウネ伯爵夫人に作品10の3つのソナタが献呈されています。

これまではベートーヴェンはウィーン形式の4楽章スタイル(スケルツォ、メヌエットの楽章入り)でソナタを書いていましたがこのソナタから3楽章でまとめ上げられ、メリハリのあるすっきりとした構成と成っています。ハ短調といえば「悲愴」のソナタ、交響曲第5番が挙げられますが、今にも爆発しそうな緊張感のあるエネルギーをこの時期のベートーヴェンの作品から感じ取れます。

L.v.ベートーヴェン:ピアノソナタ 第30番  作品109 ホ長調

「後期の三大ソナタ」第30番、第31番、第32番は1820年から1822年にかけて作曲されています。この頃のベートーヴェンの聴覚は全く絶望的で、聴きたくても聴こえてこないピアノに向かって棒を口に咥え、それをピアノの響板に当て、骨伝導で音を必死に聴こうとしていました。交響曲第8番が完成された1814年からベートーヴェンは大きなスランプに陥り、交響曲第9番を完成するまでに10年間の歳月が経っています。弟のカールが亡くなり、彼の遺言の通りカール2世を引き取りますが、9歳の甥っ子の母と養育権のことで5年間の裁判が続き、ベートーヴェンにとって大きなストレスになります。甥っ子カールはベートーヴェンと打ち解けることは出来ず激しく衝突し、(その後自殺未遂の事件を引き起こす)ベートーヴェンは苦しみに陥ります。

その絶不調の中、1818年にロンドンのピアノ会社から6オクターブ、73鍵の大きなピアノが贈られてきます。ベートーヴェンはこの新しい楽器の表現能力を限界まで引き出す決心をし、「50年後の人間なら弾ける」と語り、ピアノソナタ第29番「ハンマークラヴィア」の大曲を書き上げます。この時期からのベートーヴェンの作品は日々の苦悩、絶望感から離れ、天へと昇っていくようで神秘的な新しい領域にたどり着きます。後期のソナタに現れる不思議なトリル、付点音符、フーガなどを初めて聴いた時、「ああ、ベートーヴェンはどこかに行ってしまったんだ」と感じたことを思い出します。未だに不思議すぎて理解できないことがたくさんあり、後期のソナタを人前で弾くことはベートーヴェンの遺書を始めて読むことのようで責任重大です。

この時期ベートーヴェンは「ミサ・ソレムニス」に取り掛かっていましたが「ウィーンのピアノフォルテ学派」ピアノ作品集を依頼され、バガテルを作曲します。このバガテルが原型となり、この作品109の幻想的な1楽章が生まれたのかもしれません。このソナタは3楽章で成り立っていますが、短くて幻想的な1楽章と激しい2楽章は一つのように繋がっていて、3楽章に全ての重心が置かれています。「心からなる感動を持って、歌に満ちて」と書いたテーマはまるでバッハの「ゴルトベルグ変奏曲」のように美しく、その後6つの性格が異なる変奏曲が続きます。最後の変奏曲には不思議なトリルが現れ、まるでベートーヴェンの魂が宇宙の星となって輝き昇華されます。

ベートーヴェンが昇天する三日前に書いた文章です。

「私は今、喜んで死を受け入れます。運命は残酷でしたが、終わりのない苦しみからやっと解放されるからです。いつでも用意はできています。私は勇気をもって死を迎えます。さようなら。私が死んでも私のことを忘れないで下さい。覚えてもらうだけのことはしたと思います。どうしたら人々を幸福にできるか、ずっと考えていたのですから。さようなら」         

Claude Achille Debussy   クロード・ドビュッシー (1862-1918)

『音楽とは、堅苦しく伝統的な「形式」には、本質的に収まらないものだ。音楽とは、「色彩」と「律動のある時間の流れ」によって構成されるものだ。』ードビュッシー

今年没後100年を記念するドビュッシーの世界はベートーヴェンと打って変わって無重力の世界です。光と影が交差し、風と水が会話をし、美しく柔らかなベルベットで包まれるような感覚にとても癒されます。「フランス音楽は、まず人を楽しませなければいけない」と語ったドビュッシーは19世紀から20世紀にかけて新しい音楽を切り開いた象徴派の作曲家です。ドイツ的な古い伝統スタイルの殻を破り、自由な音の響き、感覚的な印象を表現することを重視し、音楽を解放しました。 

フランス人特有のエスプリ:優雅でエレガントな立ち振る舞い、ウィット(皮肉を交えた)に富んだ冗談、洗練されていてオブラートに包まれた会話、貴族風(18世紀のロココ調)お遊びなどはドイツ語圏に長く住んでいる私にとっては驚くほど新鮮で憧れます。なんでも難しいことは’C’est la vie’ (セ・ラ・ヴィ)「人生ってこんなものさ」で済ませてしまうフランス人がたまに羨ましくなりますし、「エスプリ」とはなんて使い勝手がいい言葉なんだろうと思います。仮に「セ・ラ・ヴィ」をドイツ語で言った日にはとんでもなく重々しく聞こえます。

ドビュッシーの音符を音にするには人間が持っている五感(第六感も!)を必要とされます。研ぎ澄まされた感覚の中に思慮深いものと遊び心を同時に持っていないといけないようで多面性がありとても面白いです。形式にとらわれず、自然と耳に入ってくる響きを大切にしたドビュッシーの音楽は流動的で美しい色彩感に溢れた世界です。たまに神秘的な美しい和音に出会うとそこでずっと泳いでいたい気分にさせてくれます。彼が描く異国の旋律、古い教会旋律、ジャワのガムラン、全音音階、5音音階、和音の平行などの響きは当時の芸術家にとって驚くほど新鮮だったと思います。

「2つのアラベスク」

第1番 アンダンティーノ・コン・モト ホ長調

第2番 アレグレット・スケルツァンド ト長調

このチャーミングな2曲は1888年から1891年にかけて作曲されています。「アラベスク」とは’アラビア風’という意味でアラビアの唐草模様の装飾を思い浮かべます。右手の3連音符と左手の八分音符が絡み合って流れてくるメロディーラインと伴奏はその唐草模様を連想されます。流れるようなアルペジオに洗練された美しいメロディーが印象的です。

2曲目はまた違った触感の小曲で、ロココ調の装飾がキラキラ光り、お庭では小鳥たちがピーチクパーチク鳴いているような軽やかで楽しい気分にさせてくれる曲です。

「月の光」

美しい月を見ると夢の心地に誘われます。月とはロマンを秘めていてなんと不思議な存在なのでしょう。

「ベルガマスク組曲」はドビュッシーが1890年頃に作曲した4曲で、「月の光」はその組曲の3曲目に登場します。ドビュッシーは1885年に「ローマ賞」を受賞し、2年間イタリアのローマへ留学します。留学中に訪れたイタリア北部のベルガモの地方にある中世の建物、美しい湖にドビュッシーはきっとインスピレーションを受けたのだと感じます。ベルガモ地方で生まれたコメディア・デラルテに登場するアレルッキーノ(ピエロ)は滑稽で明るいのに実は深い悲しみに耐えていて、顔は笑っているけど心は泣いています。


あなたの心の中はとびきりの景色だ

そこではお洒落な仮面とベルガモ風の衣装が行き交い

リュートを弾き、踊っているけれど

奇抜な仮装の下で彼らはどこか悲しげだ

短調の調べで歌うのは

勝ち誇った愛や成功した人生

だが自らの幸せを信じることなく

その歌声は月の光に溶けてゆく


悲しくも美しい月の光の静けさが

梢の鳥たちに夢を見させ

そして噴水をうっとりとすすり泣かせる

大理石の間でやさしく吹き上げる噴水を 

ーポール・ヴェルレーヌ

「ピアノのために」

この3曲から成る組曲は1891年から1896年にかけて作曲されています。「前奏曲」、「サラバンド」、「トッカータ」と古典的なタイトルが付いていますが、進化していくピアノを採用し、成熟期に差し掛かったドビュッシーは本格的に独自の語法を創造していきます。

第1曲「前奏曲」

「十分に生き生きと、リズミカルに」と書かれたこの前奏曲は、華麗なグリッサンドなどピアノならではの技巧がふんだんに使われていています。独特なリズム、激しくて力強いパッセージと静かに浮かび上がるメロディー。繊細な音律が波となってうねりを打ちます。

第2曲 「サラバンド」

スペイン由来のサラバンドは17、18世紀に流行した緩やかで高貴な舞曲です。2拍目が強調されるこの舞曲は、「優雅な落ち着きと緩やかさを持って」と書かれています。上品なビロードのような和音平行、影から出てくるような気配、揺れ動く気分などはとても神秘的でドビュッシー独自の世界です。

第3曲 「トッカータ」

スカルラッティが書くようなパッセージで始まるこのトッカータは初演の時に喝采を浴び、アンコールで再演されたそうです。東洋的な響きがどこかにあり、中間部ではドビュッシーの「ラ・メール」(海)の波が顔を出し、最後は大きな盛り上がりを持ってフィナーレに前進します。