Program Note 'Fantasy&Carnaval'

W.A.モーツァルト(1756-1791):幻想曲 作品397 ニ短調

ダニエル・バレンボイムがモーツァルトについて興味深い発言をしています。「作曲家には4つの種類の人々がいます。面白くない作曲家、面白い作曲家、偉大な作曲家、そしてモーツァルト。モーツァルトは誰にも比すことができません。全ての音が当たり前のようにそこにある。いつ演奏しても全てのフレーズがその瞬間に生まれたかのように響く。自分のいるべき場所へと常に戻してくれる存在です。」

モーツァルトの音楽は完璧にカットされたダイアモンドのようです。彼が書くスコアには無駄な音が存在しません。それ以前に音符の数そのものが非常に少ないのです。その中で繰り広げられる星の数ほどある戯曲に常に驚かされ、この世のものとは思えないほどの美しい音楽に深い感動を覚えます。

モーツァルトが残したほとんどの音楽が長調で書かれている中、この幻想曲は短調で書かれています。そしてこのニ短調という調は「死」に関係した特別な調だと思います。ニ短調で書かれたオペラのドン・ジョヴァンニでは、地獄へと向かうドン・ジョヴァンニの運命を暗示しています。また未完成のレクイエムもニ短調で書かれており、死に直行するモーツァルトがそこにいます。

このニ短調の幻想曲は謎が多い作品です。自筆譜が存在しないので正確なことは何もわかりませんが1782年に作曲されたと言われています。初版はモーツァルトの死後の1804年に出版され、97小節で未完成、あとは空白の五線紙でした。1806年ブライトコプフの出版の際に最後の10小節が補筆され今の楽譜に至っています。

幻想曲とは最も自由で即興的な音楽です。哀愁を帯びた美しい主題は、悲しみに打ち沈みながらじっと涙をこらえているような音楽です。悩みと苦しみの中、自分の内面に向かって何かを問いかけているような芯の強さを感じます。悲しみに満ちた物憂げな2部が終わり、そっとニ長調に変わる瞬間があります。私はこの瞬間が好きでたまりません。地獄から天国に上げられる瞬間です。暗から明へのこの瞬間は、まるで長い長い冬が終わり、一瞬にして春が登場し、太陽が冷たい肌を温めてくれているかのようです。この喜びのために長い苦しみが存在したのかと思わされます。モーツァルト自身がこの幻想曲を完成させていたらどんな作品になっていたのだろうと知りたくてたまりません。

 

F. シューベルト(1797-1828):「グラーツの幻想曲」 ハ長調 D.605a

今年の5月のことです。ウィーンへ行った時に友人に「シューベルティアーデの城館、アッツェンブルッグ城って行ったことある?」と聞かれました。「聞いたこともないわぁ」と答えると早速、次の日、車で連れて行ってくれました。ウィーンから東へシューベルトが馬車でコトコトと通った美しい絵画のような並木道を1時間ほど車で走ったところに、1820年から数年間シューベルトが夏を過ごした城館がありました。シューベルトの友人で詩人のフランツ・フォン・ショーバーの叔父さんが中世に建てられたこの城館で所領地管理人をしていた縁により、夏になると沢山の芸術仲間がそこに集まりワインを片手に音楽、演劇、文学、芸術について夜通し語り合ったそうです。シューベルトの才能を評価し愛した友人や支援者たちが集まったサロンは「シューベルティアーデ」と呼ばれ、音楽家、詩人、画家、歌手等の芸術家がいました。シューベルトは仲間が書いた詩を歌曲にし、歌手のフォーグルがそれを初演し、そこではかけがいのない友情が生まれました。純粋なシューベルトは大衆の喝采には全く興味なくそれを求めようとしなかった人ですが、友人たちの喝采は彼にとって最高に嬉しいものであったそうです。シューベルトはその頃教えるのを辞めてひたすら自分の書きたい音楽を書いていました。出版社にはただでもシューベルトの作品は要らないと言われ、公演で稼ぐことも出来なかったシューベルトは非常に貧乏で食べる事に困っていました。そんなシューベルトに友人たちは真のボヘミアンの寛大さで寝る場所を与え、自分たちの食べ物を分け合って食べ、お金が入った人は五線紙を買ってシューベルトを支えました。純粋な魂を持ったシューベルトはまさに「さすらいの人」で、ただひたすら自分の信じる音楽を作曲し31歳で死んでいきました。

友人が連れて行ってくれた城館の裏には丘があり、そこには小さな作曲小屋がありました。シューベルトはその小さな可愛らしい小屋でAtzenbrugger Deutschenというドイツ舞曲などを作曲しています。シューベルトの繊細な魂の一部に触れた思いで感動し、ウィーンへ戻ってすぐに楽譜屋さんへ走りました。この頃に作曲された楽譜に目を通しているとふと「グラーツの幻想曲」という聴いたこともない曲と出会いました。オープニングの牧歌的なメロディーと透き通った和音に心が奪われ、これが弾きたいと直感が叫びました。この曲はハ長調(私が好きな純粋な調)で書かれていて、美しい和音とメロディーからはオーストリアの夕日を想像させられます。また哀愁を帯びたメロディーからはシューベルトの友人たち、マイヤーホーファーやショーバーたちの詩が聴こえてきます。

実はこの曲は1969年に発見された曲でつい最近まで演奏されずあまり知られていません。1962年にグラーツで亡くなったルドルフ・フォン・ヴァインス=オストボルンという音楽家の遺品から発見されました。シューベルトの死後、130年以上もの間、オストボルン家の地下の木箱に眠っていた作品です。1818年ごろに書かれていると推定されているこの「幻想曲」はタイトル通り自由に曲想が変化します。歌曲からポロネーズ風舞曲、ノクターン、即興曲などと様々なスタイルでシューベルトのファンタジーの世界を旅します。最後は再びオープニングの夕日のメロディーが聴こえてきて静かに扉が閉じられます。

 

フランツ・リスト (1811-1886): 超絶技巧練習曲 「夕べの調べ」

ウィーンに住んでいた頃よくハンガリーのブダペストまで足を運びました。中央駅から列車で3時間弱。ウィーンとは違って薄暗く重厚感が漂うブダペストには不思議な魅力があります。ブダ側の丘から見るドナウ川は華やかなウィーンで見るドナウ川とは違って重々しく、独特な雰囲気でノスタルジックな思いにさせてくれます。

フランツ・リストはウィーンから1時間ほど南に車で走ったライディングという小さな村で(当時ハンガリー)ハンガリー人を父にオーストリア人を母として生まれました。リストは生涯ハンガリー語を話すことがなかったにも関わらず、「私はハンガリー人である」というアイデンティティーを大切にしたそうです。神童、ピアノの魔術師、スーパースター、プレイボーイ、弟子を大切にする巨匠、聖職者。リストの性格、生き方は多彩で、その場その時に書かれた彼の音楽にその多面性が反映していると思います。

超絶技巧練習曲は1826年(15歳)に初稿が出版され、2度の改稿が行われた後、1851年に完成されています。シューマンが初版を見たときに言った言葉です。「それは、本物の嵐であり、驚愕の練習曲だ。この世で10人か12人の最高の演奏者の為にある練習曲である。下手くそな演奏家は、ただ笑いを誘うだけであろう。ほとんどにおいて、ヴァイオリンにおけるパガニーニのようであり、リストは新たにピアノの為にそう置き換えることを目論んでいる」

全て異なる調で書かれている12曲は、シューマンが言う通り驚愕の練習曲です。リストがどれだけのヴィルトゥオーゾだったか楽譜を見ればよく理解できます。「指が5本ついている手が二つあると思うな。身体から10本の指が生えていると思え!」と言っていたリストの演奏は人間業ではなかったに違いありません。ピアニストが集まるとよく「天国へ行ったら誰の演奏が聴きたいか?」という話題で盛り上がります。「リスト!」と即座に答える人が多いのですが、私はリストとクララ・シューマンの間で迷います。

「夕べの調べ」は美しい夕陽が壮大な大地に広がり、教会の鐘と共に鳴り響く情景を思い浮かべさせてくれます。何もないところに遠くから鐘の音が聴こえてきます。ハープが風の役割をしてくれ、夕方の空気を運んでくれます。中間部の内省的なレチェタティーヴォは感傷的でそこには強い祈りがあり、リストならではの和音の響きが存在します。それが終わると突然激しい嵐がクライマックスへと連れて行ってくれますが、最後は神秘的な静けさが戻り、夕陽が落ちた後、平和な夜を迎えます。

 

ロベルト・シューマン(1810-1856): 「謝肉祭」作品9

ロマン派を代表する作曲家、ロベルト・シューマンは1810年にドイツのツヴィッカウで生まれ、1856年、エンデニヒの精神病院で息を引き取りました。この「謝肉祭」は1834年に作曲されており、情熱に溢れたドイツロマン派の尖端をくぐり抜けている24歳のシューマンが残した作品です。

シューマンはこの「謝肉祭」が作曲された時期にピアノの師フリードリヒ・ヴィークの許に弟子入りして住み込んでいるエルネスティン・フォン・フリッケンに恋をしています。「謝肉祭」の副題は「4つの音による面白い情景」。実らなかった恋の相手エルネスティンの故郷ボヘミアの街、ASCHの綴りを音名に当てはめ作曲されています。(A-ラ、S-ミ♭、C-ド、H-シ) 又はAS-C-H (ラ♭-ド-シ)そしてこの文字はシューマン自身の名前の音名にも当てはまります。(SCHumAnn) 

文学青年であったシューマンは言葉遊びが大得意でした。この4つの音のコンビネーションが全ての21曲の中にダイヤモンドのように散らばっており、仮面をつけたこの4つの音符たちが次から次へと形を変えて踊ります。この謎解きの面白さは仮装舞踏会の仮面を一つ一つ取っていくようでここでもシューマンらしさが溢れています。

シューマンはずば抜けた文学的センスを持った人でした。この時期にドイツで流布していた音楽評論の水準に大きな不満を感じていたシューマンは、友人の音楽家たちを集め1834年に「新音楽時報」(Neue Zeitschrift für Musik)を創刊します。新しい芸術のために戦う仲間たちは「ダヴィッド同盟員」と呼ばれ「謝肉祭」の中に登場します。「ダヴィット同盟」とはシューマンの空想上の団体で、ダヴィットとは旧約聖書に登場するペリシテ人戦士ゴリアテを倒したダビデ王に由来します。当時流行っていた低俗な音楽や保守的な考えにしがみつく評論家たちに対して戦いを挑む、新しい理想の音楽を築き上げようとする団体です。21曲の仮面舞踏会の中にはいろんな人物が登場します。第13曲目の「エストレラ」は当時シューマンが恋をしていたエルネスティン・フォン・フリッケンのこと、第11曲目の「キアリーナ」とは彼の最大の愛、のちに結婚する当時16歳のクララ・シューマン、第12曲目は「ショパン」、第17曲目は「パガニーニ」など実際に存在したダヴィッド同盟のメンバーが登場します。第5曲目の「オイゼビウス」と第6曲目の「フロレスタン」はダヴィット同盟の架空の中心人物、シューマン自身を描いています。第2曲目の「ピエロ」、第3曲目の「アルルカン」、第15曲目の「パンタロンとコロンビーヌ」はイタリアの仮面即興劇の登場人物です。

さて、幕が開きます。シューマンの奥深い幻想の世界をお楽しみください。

  1. 「前口上 」 “Preambule” 

  オープニングは輝かしいファンファーレで始まります。堂々とした序曲からは舞踏会へ集まってくる人々の姿が伺えます。前奏部分ではシューベルトの「憧れのワルツ」のテーマが登場します。シューベルトを心から尊敬していたシューマンからの「シューベルトへのオマージュ」、そして愛する女性のために送る秘密のメッセージがこの数章節の中に込められています。

2. 「ピエロ」   "Pierrot"  

 たくさんの群衆が去った後に最初に登場するのが「ピエロ」です。イタリアの即興喜劇「コメディア・デラルテ」に登場する道化師は白いマスクをかぶった夢想家というイメージがあります。おどおどしたピエロがよたよた出てきて綱渡り(左手のベースのE♭が綱のように感じます)をしながら何度も転ぶユーモラスなピエロの姿が描かれています。

3. 「アルルカン」  "Arlequin" 

 アルルカンもコメディア・デラルテに登場するキャラクター。ピエロとは対照的で生き生きとしていて軽い身体で飛び上がって踊ります。ひし形の模様のついたカラフルな衣装を身につけたアルルカンはずる賢いですが人気者です。

4. 「高貴なワルツ」  "Valse noble" 

「高貴なワルツ」というタイトルはシューベルトの「12の高貴なワルツ」から来ています。ここでもシューベルトへの尊敬、友情の意味が込められていると思います。上品で堂々とした美しい伸びやかなメロディーで始まり、中間部ではメランコリックで繊細なメロディーが流れます。

5. 「オイゼビウス」  "Eusebius" 

私が最も愛して大切にしている曲です。オイゼビウスはダヴィット同盟のメインの団員でシューマンの分身です。静かな瞑想家、叙情的な性格で独り言を言いながら夢を見ています。オイゼビウスとフロレスタンはシューマン自身で「新音楽雑誌」でもペンネームとして使われています。この曲ではシューマンの心の奥底の最も繊細な部分に触れることができるような気がします。

6. 「フロレスタン」  “Florestan"

オイゼビウスと対照的なフロレスタンはとても激しく熱狂的、直感的で積極的です。感情のブレーキが効かないほど盛り上がり、最後はブラックアウトするまで走り続けるシューマン自身を描いています。この曲の途中にはシューマンの「蝶々」作品2が顔を覗かせます。「蝶々」はシューマンが愛した作家ジャン・パウルの「生意気盛り」という対照的な性格の双子を主人公とした物語からインスピレーションを受けているのでこの「蝶々」の登場はまるで種明かしをしているかのような不思議なメッセージです。

7. 「コケット」   “Coquette”

フロレスタンが記憶喪失した直後登場するのがコケットです。フランス語のコケットとは日本語で「媚態」で私にはピンとこない言葉ですが、男性をもて遊ぶ色っぽい女性のことを意味します。チャーミングで気まぐれな女性が気のある素振りを男性に見せ、振り向かせたかと思うとその瞬間すぐ無視をするという場面が想像できます。きっとシューマン自身にもそういう性格の部分があったのでしょう。

8.「 応答 」  "Replique"  

コケットの左手のメロディーが最初に登場します。女性と男性の会話です。短い会話の中で一瞬だけ一緒に歌います。まるでコケットが本当に好きな男性をついに見つけ会話をしているかのように聴こえます。

★ここで「スフィンクス」という題された4つの音、エルネスティンの故郷、ASCHの音型のコンビネーションが出てきますが通常演奏されません。

No.1 <Es-C-H-A> No.2 <As-C-H>    No.3 <A-Es-D-H> 「この4つの音が謎の鍵解きになるよ」とシューマンが言っているようです。

9. 「蝶々」  “Papillons”

「パピオン」蝶々はシューマンのお気に入りの言葉だったようで曲の題名にも手紙にもよく登場します。曲のキャラクターからして激しく、フロレスタン的なのでなんで蝶々?と思いますが希望に満ちた元気な蝶々のようです。

10.  「A.S.C.H.-S.C.H.A ~踊る文字」   "Lettres dansantes" 

スフィンクスに出てくる音型2がここからは主に使われています。小さな文字が宙に舞い軽やかに踊っています。あまりにも小さな文字が飛び散るのでよく耳をすまさないと理解できません。もしシューマンがScrabble(単語のボードゲーム)をしたら誰よりも強かっただろうなあと一人で想像しています。

11. 「キアリーナ」   "Chiarina" 

「謝肉祭」の中で一番情熱的な曲だと思います。キアリーナとはクララのイタリア風の呼び方でダビット同盟上での名前です。シューマンの音楽はクララなしでは語れません。クララはこの後、ロベルトとの結婚生活14年の間に子供を8人生み、天才ピアニストとして演奏旅行を続け、ロベルトの死後も演奏、作曲、教授、育児、シューマンの作品の校正をしながら家族を支え、超人的な働きを残した天才です。私が最も尊敬し、憧れている女性です。当時16歳でしたがもうすでに彼女の名は世に広まっていました。この曲がClaraのC Minor(ハ短調)で作曲されているところにも魅力を感じます。ロベルトがクララに最初に出会った時は彼女は11歳だったので妹のように可愛がっていたことでしょう。でもこの曲を聴くとこの時期からすでにクララへの感情が芽生えていたように思えます。

12. 「ショパン」   "Chopin" 

シューマンは1835年の秋にライプツィッヒでショパンに出会っています。「諸君、脱帽したまえ。天才だ!」と評論家としてショパンのことを絶賛し世間に紹介しました。この曲はショパンのノクターンのようで流れる左手に甘いメロディーが美しく歌います。

13. 「エストレア」   "Estrella"  

当時恋をしていたエルネスティン・フォン・フリッケンの同盟名です。彼女の故郷がASCHだったためこの「謝肉祭」が生まれました。この曲は非常に短く情熱的に書かれています。この二人の恋愛から「交響的練習曲」作品13も生まれています。彼女の存在はロベルトの制作意欲を掻き立てたことでしょう。真実かはわかりませんが、次の年にロベルトとクララの恋愛が始まるとエルネスティンは潔く身を引き、二人を励ましたそうです。

14. 「再会」   "Reconnaissance" 

仮面舞踏会での再会、「またお会いできましたね」と言いながら軽やかに連打が続く楽しい曲です。中間部ではメランコリーで美しい会話が展開します。まるで恋人同士が再会できたけれど別れないといけないようなセンティメンタルな場面が見えてくるようです。

15. 「パンタロンとコロンビーヌ」  "Pantalon et Colombine" 

パンタロンとコロンビーヌもピエロとアルルカンに続いてイタリア喜劇のコメディア・デラルテに登場する人物です。パンタロンは長ズボンを履いたケチで好色でお金持ちのヴェネチア人の老人でコロンビーヌは若い召使いです。言い寄ってくるパンタロンをコロンビーヌはタンバリンを打ちながら逃げまくっている様子が伺えます。

16. ドイツ風ワルツ  "Valse allemande"  

アルマンドは16世紀に流行した舞曲ですが、シューマンは「謝肉祭」のタイトルをすべてフランス語で書いており、彼が書く「ドイツ風ワルツ」というをフランス語の響きが私にはなんだか皮肉っぽく聞こえ面白く感じます。どこかで「ドイツ風」というフランス語のニュアンスに田舎っぽさを感じさせます。最近知って驚いたのですが、途中に出てくるメロディーはクララの作品4「ピアノのためのロマン的ワルツ集」から調を変えてそっくり取ったものです。

17. パガニーニ   "Paganini"  

ニコロ・パガニーニは当時のスーパースターであまりにものヴァイオリンの演奏の上手さに「彼は悪魔に魂を売り渡した代償として技術を手に入れた」と噂され、演奏会では十字架を切る者やパガニーニの足が地についているかを演奏中に確かめる者がたくさんいたと言われています。フランツ・リストはピアノのパガニーニを目指し、シューマンもパガニーニの超絶技巧を1830年にフランクフルトで聴いて自分も演奏家になると決意しますが、自分で発明した指の訓練機で指を痛めてしまいピアニストの道を諦めます。この曲では「ドイツ風ワルツ」の間奏曲としてきらびやかなジャンプが繰り広げられます。

18. 告白   "Aveu" 

最も短くてデリケートで切ない愛の告白です。内に秘められた情熱はまさにシューマンならではの世界です。

19. プロムナード   "Promenade" 

「散歩」ともよばれているプロムナードはそろそろお祭りが終わりかけている気配を感じさせます。会場を抜け出しカップルがフレッシュな空気を吸いに外へ出かけるような雰囲気を感じます。優雅なウィンナーワルツが最後の時を知らせてくれているようです。

20. 「休息」   "Pause"  

第1曲目の途中に登場する低音から高音に向けてのパッセージが突然やってきます。タイトルの「休息」など演奏者は全然できません。「急速」と変換したほうが合っているでしょう。ここでは息をする暇もなく終曲へと突入します。

 21.「ペリシテ人と戦うダヴィッド同盟の行進 」  "Marche des ‘Davidsbündler' contre les Philistins" 

フィナーレにふさわしい壮大な曲です。ここではシューマンが先頭に自分と共通した音楽観を持った友人たちと全員集合し行進します。ペリシテ人とは旧約聖書に登場するフェリスティンを意味し、ダヴィットは巨人ゴリアテを石投げで倒した弱小だけれど知恵を持つダヴィットを指し、シューマン自身と考えられます。ドイツ音楽を硬直される保守的な考えを持った俗物たちを駆逐しようとする勇ましい正義の行進が続きます。中間部では「17世紀の旋律」と書き込まれた左手に現れる主題が出てきますが、これは「おじいさんの踊り」という大衆歌曲です。「蝶々」、「子供のためのアルバム」にも使われているこのメロディーはペリシテ人の堅物ぶりを表現しています。そのペリシテ人を追い払うかのようにダヴィット同盟のメンバーたちが圧倒的な迫力で行進を続けます。最後は同盟の輝かしい勝利を高々と歌い上げ、皆で喜び合い、実に華やかに幕を閉じます。