2016年「春」プログラムノート

皆さま、こんにちは!この春はとても華やかで美しいプログラムを演奏します!一部は私が大好きなシューマンとリスト。二部はいろいろな作曲家のワルツをテーマにした素敵なプログラムです。私にとって思い入れが深い作品ばかりです。皆さまの心にとまることができるように全身全霊を込めて演奏したいと思っています!

 

ロベルト・シューマン(1810-1856):「子供の情景」作品15

「子供の情景」は1838年に作曲されました。その年にシューマンは愛する未来の妻、クララに次のような手紙を残しています。「あなたは以前ぼくのことを、時々子供みたいなところがあると言いましたね。その言葉が僕の心に残っていて、羽をはやして飛び回り、いつの間にか30曲ほどの小さな曲ができあがりました。その中の12曲を選んで、「子供の情景」という題名をつけました」

実際にはこの手紙よりも一曲増えて13曲の小曲を集めた作品となりました。

シューマンは当時クララの事を「子供」と呼んでいました。彼にとって「子供」とは「世界で一番美しい言葉であって、私はある人のためにだけこの言葉を用いたい」と手紙にも残しています。なのでこの作品は子供のために書かれたのではなく、クララのためにプレゼントされた「子供の心を描いた大人のための回想」です。

私にとってこの「子供の情景」は宝物です。とてもシンプルで純粋な世界の中に、シューマンならではの繊細な幻想の世界が凝縮されています。

 

シューマン:リスト(1811-1886) 「献呈」

Du meine Seele, du mein Herz,        君は我が魂、我が心

Du meine Wonn', o du mein Schmerz,    君は我が喜び、おお、君は我が苦しみ

Du meine Welt, in der ich lebe,        君は我が世界、その中で私は生きる

Mein Himmel du, darein ich schwebe,    君は我が天国、その中で私は浮かぶ

O du mein Grab, in das hinab        君は我が墓、

Ich ewig meinen Kummer gab!        その下へ我が苦悩を永遠に葬った

 

Du bist die Ruh, du bist der Frieden,        君は憩いであり、君は安らぎである

Du bist vom Himmel mir beschieden.    君は天から私に与えられたもの

Daß du mich liebst, macht mich mir wert,    君が私を愛することによって私は価値あるものとされ

Dein Blick hat mich vor mir verklärt,        君に見つめられて 僕は輝く

Du hebst mich liebend über mich,        君の愛こそ我を高める

Mein guter Geist, mein bress'res Ich!   我が尊い魂よ、よりよい我が身よ

    -Frierich Rückert            ーフリードリッヒ・リュッケルト(訳・弓張美季)

 

30歳になるまではピアノ曲以外書かなかったシューマンが1840年に100曲以上の歌曲を作曲しています。ロベルトとクララは長年彼女の父(ロベルトの師匠でもある)、フリードリッヒ・ヴィークから猛烈に結婚を反対され苦しい時期が続きますが、やっと1840年9月12日に結ばれます。「歌の年」と呼ばれる1840年はシューマンにとって最高に幸せな年だったと思います。彼のクリエイティブ・パワー、才能が爆発した年でもあります。「詩人の恋」、「女の愛と生涯」、二つの「リーダークライス」、「ミルテの花」などシューマンの歌曲集の中でも最高傑作となるものをこの年に作曲しています。その中でトップを飾るのが「ミルテの花」であり、第一曲目に位置するのがこの「献呈」です。「君は我が魂、我が心」という熱烈な詩で始まるこの歌は結婚式の前夜にミルテの花を添えてクララに捧げられました。

フランツ・リストはこの美しい歌曲をピアノ独奏のために編曲しました。ピアノという楽器を知り尽くしたリストならではの華やかであるけれどとても深みのある名作です。

 

フランツ・リスト(1811-1886):「ペトラルカのソネット」第104番

ロマン派を代表するピアノの巨匠、フランツ・リストが存在しなければピアニストの人生は寂しいものになっていたと思います。リストが残したピアノ独奏曲を弾いていると彼がどんなに素晴らしいピアニストであったかよく解ります。リストと言えば超絶技巧を思い浮かべますがそれだけではなく、内容の深いもの、宗教的な意味を持つものから様々と幅広い音楽を残してくれています。ソネットとは13世紀の初め頃から始まったイタリアの詩の形式で14行詩ともいわれていて、ペトラルカとは実在していた修道士で、ペトラルカのソネットとはペトラルカの詩を意味します。この詩は恋に落ちた喜びと苦しみの2面を歌っています。

ある日、ペトラルカはラウラという美女に教会で出会い恋に落ちます。しかし、修道士は神にその一生を捧げる聖職者。異性を愛する事、結婚をすることは禁じられた身の上。ラウラへの燃えるような恋心と葛藤するペトラルカの姿がこの詩の中で歌われています。リストはちょうどこの曲が作曲された時期(1837年)、愛人であるマリー・ダグー伯爵夫人とイタリアに滞在しています。リストはこのペトラルカの詩に強いインスピレーションを受け、恋の甘美と激しさが渦巻いたこの曲が誕生しました。

 

F.リスト(1811-1886):ウィーンの夜会「シューベルトのワルツ・カプリス」

「ピアノの魔術師」と呼ばれていたリストは数多くの編曲を残しました。このシューベルトによるワルツ・カプリスはシューベルトの舞曲から9曲、自由な形で残されています。この6曲目の作品は当時の華やかで優雅な貴族の舞踏会が描かれています。ドラマティックなオープニングに変わって甘い優美なワルツが続き、なぜか私の中ではシンデレラの頭の中の想像、舞踏会へのあこがれ、台所のネズミ達、夢が現実化された舞踏会などが頭によぎります。リストのシューベルトへの尊敬、情熱は生涯変わることがありませんでした。50年にもわたり編曲し、当時無名だったシューベルトの作品をコンサートホールへと持ち込みました。優れたピアニズム、彼の得意とした編曲ならではの作品です。

 

F.ショパン(1810-1849):ワルツ 第9番 「告別」 作品69-1 変イ長調

「別れのワルツ」として親しまれているこの曲は、1835年にショパンの第2の恋人、マリア・ヴォジンスカに捧げられた愛の告白です。ポーランドの貴族の娘で愛らしく、しとやかで高貴な雰囲気のマリアにショパンは一目惚れをします。1836年の夏にショパンはドイツのマリエンバートでヴォジンスキー一家と再会し、一夏を一緒に過ごします。愛するマリアと過ごしたこの一夏は、ショパンの人生にとって最も幸せな時だったと思います。ショパンは16歳だったマリアにプロポーズをし、彼女はそれを受け入れますが、彼女の両親がそれに反対し、結局彼らは結ばれることなく別れなければいけなくなります。ショパンは婚約破棄の手紙をマリアの両親から受け取り、あまりのショックに途方にくれ悲しみに陥ります。ショパンは彼女から送られてきた手紙の束の上に彼女から貰った一輪のバラの花を添え、「我が悲しみ」と書いて生涯大事に持ち歩きました。もしマリアがクララ・シューマンのような強い女性だったらきっと彼らは結ばれていたように思えます。

 

F.ショパン(1810-1849):ワルツ 第6番 「子犬のワルツ」作品64-1

「子犬のワルツ」の愛称でよく知られるこのワルツはショパンの晩年の作品です。ジョルジュ・サンドが飼っていた犬が自分のしっぽを追いかけてくるくると回っているところからこの曲が生まれたというエピソードが残っています。軽やかで活発な作品。中間部は打って変わり、ゆったりとした優美なメロディーにうっとりとさせられます。また滑らかでジグザグ的なメロディーの中にある美しいグラデーションのような響きが、ショパンならではの独特な世界を醸し出しています。この曲はショパンの音楽の良き理解者、友人として生涯彼を支えたデルフィナ・ポトツカ婦人に献呈されています。

 

E.ナザレー (1863-1943): ワルツ「エポニーナ」

「ブラジルのショパン」と言われているエルネスト・ジュリオ・ナザレーは生涯リオ・デ・ジャネイロで過ごしたブラジルの作曲家です。幼い頃からショパンを愛する母親からピアノを習い、民族音楽に目覚めました。ナザレーは「音楽は民衆に楽しまれるべきである」という観念を抱いている、心底ブラジルを愛した音楽家でした。ほとんど独学で劇場や映画館の伴奏ピアニストとして働き、小劇場では当時チェリストとして活躍していた後の大作曲家のヴィラ・ロボスがたくさんの影響をナザレーから受けています。彼の音楽の中にはサンバ、タンゴ、ショーロ、マシシェ、ルンドゥなど独特な民族舞曲のリズムが見事に盛り込まれています。当時ヨーロッパではサロン小曲にはフランス語で題名を付ける習慣が根強く残っていましたが、ナザレーは生涯母国語のポルトガル語に固執しました。エポニーナとはナザレーの弟子の友人の女性でした。ナザレーはこの美しい女性に密かに思いを寄せていたそうです。とても優しくて甘い香りのするワルツですが、どこかで寂しさを感じられる哀愁を帯びたところがブラジルのショパンと言われているナザレー独自の素晴らしい世界だと思います。

 

M.ラヴェル(1875-1937): 「ラ・ヴァルス」

私がラヴェルと出会ったのは15歳のころ、イギリスのメニューイン音楽院へ行っていたころです。最も尊敬するピアニスト、ヴラド・ペルルミュテールとの出会いがきっかけでした。ペルルミュテールはラヴェルの弟子でラヴェルが作曲したピアノ曲殆どを弾き、ラヴェル本人から楽譜には書かれていない細かい指示を教え込まれました。よくカフェでチェスをしながら指使いなどを教わったそうです。当時85歳だったペルルミュテールの音は、最も天国に近く、天から降ってくるような作曲家の語りであり、ピアノの音には聴こえませんでした。

ラヴェルは1919年に’ラ・ヴァルス’を作曲しました。この曲は、本来バレエ・リュスの主催者ディアギレフの依頼でオーケストラのために作曲され、ほぼ同時にピアノのために編曲されました。

踊りにくいという理由や経費の関係で舞台がキャンセルされ、別の管弦楽の演奏会で初演されて好評を博しましたが、バレエとして演奏されることは少なかったようです。

スコアには「渦巻く雲の切れ目からワルツを踊る人々が見える。雲は次第に晴れ、やがて豪華な広間で踊る人々がはっきりと見え、シャンデリアの光が輝く。1855年ごとのウィーン宮廷」と説明が書かれています。

冒頭のコントラバスの遠い不気味なオープニングから優雅で明るいウィンナーワルツに展開していきます。しかし華麗なワルツの中にいながらも低音部がいつも不安な感じで伴奏とメロディーが合っているかいないか解らない、不機嫌そうな金管や突然邪魔をするティンパニー、怪しいファゴットのメロディーなどが混雑します。

美しく幻想的とも言える曲ですがなんとなく不気味でワルツに酔いしれながら破滅に向かって行く、19世紀後半のオーストリア・ハンガリー帝国の破局の予感が暗示されているような気もします。