2016年 「秋」プログラムノート 

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)

ピアノソナタ 第8番 「悲愴」作品13

音楽家にとってバッハの平均律クラヴィーア曲集が旧約聖書だとすると、ベートーヴェンの32曲のソナタは新約聖書だと例えられることがあります。それはベートーヴェンのソナタを通して演奏家は楽譜から何をどのように作曲家の意思として読み取るのか、そこでどう演奏すればいいのかというファンダメンタルな質問にぶつかるからだと思います。前期、中期、後期を通して書かれたソナタは音楽史にとって欠かせない道しるべです。

ベートーヴェンと聞くと私がよく思い出すのがジェイコブ・ラタイナーです。大学時代からの恩師で「歩くベートーヴェン」とあだ名をつけていました。1928年、キューバ生まれのピアニストで偉大なヴァイオリニストのハイフェッツやチェリストのピアティゴルスキーと室内楽を演奏したり、アーノルド・シェーンベルグの弟子でもありました。恐ろしく怖い頑固なおじいさんでレッスンの時はかなり緊張していました。まず小節数を大きく書きなおした楽譜(必ず原典版なのですが彼が気に入らないものだと投げつけられます)を彼の楽譜スタンドに置きます。その横に大きめな帳面を並べ、彼がゆっくり万年筆でレッスンの日付を書くのを待ちます。そのあと葉巻に完全に火がつくまで待ちます。ここが一番緊張するところです。プカプカされている時に弾きだすと怒ります。一息おいて彼の耳がこちらに向いた頃を見計らって目で確認してから弾き出します。

彼が一番大切にしていたものは「楽譜から何を読み取るか」です。同じスラー、アクセント、スフォルツァンドを一つとってもモーツァルトが書くものとベートーヴェンが書くものは違います。テンポとはスピードではなく、曲想だということ。彼のレッスンは初めから最後まで質問攻めでした。それは「自分で考えること」の蓄積で音楽家を本当の意味で育てるということに徹底されていたからです。最初にベートーヴェンのソナタを彼に弾いた時に聞かれました。「Miki、ベートーヴェンの32曲のソナタの中で彼は何回mf(メゾフォルテ)を書いたか」と聞かれました。「解りません」と答えると、「来週のレッスンまでに調べて来なさい」と言われました。家に帰って1番から32番まで楽譜をめくりました。なんと彼が書いたのはたった2度。驚きました。このmfというデュナーミクがいかにベートーヴェンにとって特別なものかを知りました。

ラタイナーはファクシミリ版、作曲家の自筆譜、初期の版などのコレクターで自分のライブラリーを持っていました。レッスンの後スコッチウイスキーを一緒に飲み、機嫌がいい時だけライブラリーのコレクションを見せてくれました。それが私の一番の楽しみでした。作曲家の思い、感情そのものが楽譜に現れていて興奮してドキドキしたのを覚えています。「いつか私はいなくなる。いなくなった時に自分の力で楽譜を読み取ることができるように道具を与えたい」と言われていました。

6年前のクリスマス前にニューヨークから連絡が入り、ラタイナーが昇天されたことを知りました。彼が私に与えてくれたものはあまりにも大きく、感謝をしてもしきれません。音楽を通して、楽譜を通してラタイナーは日々私に語りかけてくれています。

 

この「悲愴」のソナタはベートーヴェンが書いた「月光」と「熱情」を合わせて三大ソナタの一つとされています。「大ソナタ悲愴」というタイトルは珍しくベートーヴェン自身が付けました。28歳だったベートーヴェンはこのころから聴覚を失い始めていました。それは1802年に書かれた「ハイリゲンシュタットの遺書」に残されています。日ごと悪化する難聴への不安、悲しみ、絶望感の中で芸術家としての運命を全うするために肉体、精神的な病気を克服したいと願望するベートーヴェンの切実な思いが書かれていて涙なしでは読めません。ウィーンに住んでいた頃よくハイリゲンシュタットを散歩しました。遺書の書かれた家の近くの教会の鐘が聞こえなくなっているベートーヴェンの悲しみを考えました。音楽家にとって命の耳を奪われたのです。遺書の中にこのような言葉が残されています。「そのような死から私を引き止めたのはただ芸術である。私は自分が果たすべきだと感じている総てのことを成し遂げないうちにこの世を去って行くことはできないのだ」

「悲愴」のソナタはグラーヴェの重々しい序奏から始まり、緊張感のある激しい一楽章、牧歌的で心を温かく癒してくれる二楽章、小さな希望が見え明朗なテーマがロンド形式で登場する三楽章から成り立っています。

 

フランツ・ペーター・シューベルト(1797-1828)

即興曲 作品142-3

シューベルトはウィーンで生まれウィーンで亡くなった数少ない純粋なウィーンの作曲家です。常に死と孤独と向き合いながら31歳で亡くなるまで作曲に没頭した天才です。シューベルトが遺した作品は700点あまりでその多数が美しい歌曲です。素晴らしい歌があってこそシューベルトの世界を完全に味わうことができると思います。どの作品をとってもシューベルトにしかありえない個性が宿っていて私にとってシューベルトは地上と天を結んでくれる大切な作曲家です。

この即興曲は彼が亡くなる前の年に書かれています。変ロ長調の温かい優しい主題は、この即興曲を書く数年前に作曲した劇音楽、「キュプロスの女王ロザムンデ」から転用されています。5つの変奏曲はまるでウィーンの森の自然そのもので、そよ風や草木たちの会話が聴こえてきます。小さな野ばらと会話ができる純粋なシューベルトは偉大な大スターになりたかったのではありません。ただただひたすら音楽の中にいたかったのだと思います。

 

即興曲 作品90-3

この即興曲もシューベルトが亡くなる前の年、1827年に作曲されています。この頃の彼は、まるで人生の残りの時間を知っているかのように精力的に傑作を生み続けています。この即興曲は「無言歌」のようで「祈り」です。変ト長調という深く温かい調性で書かれていています。シューベルトが遺してくれた最高傑作です。

 

モーリス・ラヴェル(1875-1937)

「ソナチネ」

ラヴェルのソナチネは完璧にカットされたダイアモンドのようです。古典形式の中に簡潔にまとめられている中、美しい繊細な旋律が響き渡り見事な作品に仕上がっています。ソナチネは「水の戯れ」の数年後、1903年から1905年にかけて作曲され、ラヴェルの友人のゴデブスキ夫妻に献呈されました。小さなソナタ、ソナチネと題するところがまたラヴェルのお洒落なセンスが現れています。小節数の規定された音楽雑誌主催のコンクールのために作曲されたものなので小規模で完璧にまとめあげられたのだと思います。

一楽章:モデレ:

伝統的なソナタ形式の中に、優しいメランコリックな旋律が浮かび上がります。エオリア旋法で書かれており、なんとも美しい繊細な響きが印象的です。

二楽章:メヌエット

メヌエットはフランス語のmenu pas(小さなステップ)から由来していて、バロック時代にヨーロッパで流行したゆったりと踊る3拍子のダンスです。幼い頃このメヌエットを聴いた時に「何て物悲しげなメロディーなんだろう」と感じたことを思い出します。高貴でありながら純粋な旋律が美しい和音と共に流れていきます。

三楽章:アニメ

「生き生きと」と記された三楽章はトッカータ風に作曲されたロンド・ソナタです。16部音符の快活で鮮やかなパッセージが躍動します。フィナーレに相応しい花火が弾けるような鮮やかな曲です。

 

「水の戯れ」

「水の戯れ」は1901年、ラヴェルがパリ音楽院に通っていた頃に作曲されました。楽譜の冒頭には「親愛なるわが師、ガブリエル・フォーレに」と当時作曲の師に献呈されています。フランツ・リストの「エステ壮の噴水」からインスピレーションを受けたことは間違いありません。この曲はラヴェルの名前を初めて世に出した傑作で、今までロマン派にはなかった印象主義による最初の記念作品です。神秘的な和音をベースに噴水、水のさざめき、滝、波、雨、小川などありとあらゆる水が自由自在に表情を変え、光と共に表情を変えられていく様が聴こえます。楽譜にはアンリ・ド・レニエの詩「水の祭典」から引用した言葉が添えられています。「水にくすぐられて微笑む河の神・・・」

 

アルベルト・ヒナステラ (1916-1983) クレオール風舞曲の組曲 作品15

ヒナステラとはとても相性が合うようで、弾いていると昔からの友人に再会できたような心地のいい感覚があります。ヒナステラの音楽はとてもナチュラルに書かれています。10本の指を自然な形に使いこなし、ピアニスティックに書かれている曲が多いのですが、なによりも表現方法がとてもストレートで独特なリズムや旋律に惹かれます。

アルゼンチン生まれのヒナステラは、南米のバルトークとも呼ばれていて、幼い頃から民族音楽の中で育ち、民族主義に根ざした作品を残しました。全部で55曲の作品を残しましたが、それらは3期に分けられます。1937年-1947年までの10年間は「客観的民族主義」で、アルゼンチンの風景やそこに住む人々を音楽にしています。1947年からの10年間は「主観的民族主義」でアルゼンチンの題材は間接的、または抽象的に扱われています。1958年以降は「新表現主義」に入り、民族主義から離れ、十二音技法、セリエル音楽、無調の世界へと繋がっていきます。

今年はヒナステラの生誕100年を記念する年です。このクレオール風舞曲の組曲とは最近出会いました。「クレオール」とは植民地で生まれたネイティブ以外の人々を意味します。この曲は1946年ニューヨークで作曲されました。アルゼンチンを離れ、活気に溢れた大都市へ移り住み、強烈な影響を受けたに違いありません。この頃から彼の作曲法がよりパーソナルなものと変わっていきます。短い5曲の舞曲ですが、5曲ともすべてキャラクターが違いとても面白い作品となっています。夢心地で無重力な世界、リズム感に溢れた野生的なガウチョのダンス、ミステリアスで叙情的なメロディーなどが彼の音楽の特徴です。

 

ジョージ・ガーシュイン (1898-1937)

「3つのプレリュード」

このプレリュードが初めて披露されたのは1926年12月4日、ニューヨークのミッドタウンにあるルーズヴェルト・ホテルでのコンサートでした。友人のコントラルトの歌手から伴奏を頼まれ、彼女のリクエストでプレリュードが5曲作曲されました。その日演奏されたのは全曲でしたが、後にこの3曲だけが出版されました。

一曲目はこの時代に流行だったブラジルのバイヨンリズム(2拍子のシンコペーション)を使ったエキサイティングなプレリュード。2曲目は気だるいブルーズの子守唄。中間部に一瞬、男性が登場します。3曲目はアップテンポのラグタイム。fast-slow-fastで三曲ともとても魅力的な小曲です。