プログラムノート 2015年 リサイタル

「ペテルブルグの思い出」

 

3年近く住んだロシアでは色々な思い出があり、今でも思い出すと胸が熱くなります。初めてサンクトペテルブルクへ訪れた時の感動は一生忘れられません。広大なネヴァ川に立ち並ぶエルミタージュ宮殿の美しさ、街の中を流れる運河と美しい橋の数々、マリンスキー劇場で見た「白鳥の湖」、ロマノフ王朝の富と権力を感じさせられる宮殿の数々、幻想的な白夜、銃弾の跡が柱に残っている聖イサク大聖堂の展望台から聴いたラフマニノフ、道端でおばあちゃんが揚げてくれるピロシキの味、たくさんの感動が昨日の事のように蘇ってきます。

今回のプログラムはスクリャビン、ラフマニノフ、プロコフィエフ、ムゾルグスキーとすべてロシアの作曲家たちです。ピアノに向かっていると突然、ロシアにいた頃の感覚にタイムスリップする瞬間もありますが、また新しい発見が山ほどあり宝探しをしているところです。音楽の素晴らしさは同じものが二度と生まれないところだと思います。だからこそ音楽を通して毎日自分自身が生まれ変われます。

 

大切なことをたくさん教えてくれたロシアに熱い思いを込めて演奏したいと思っています。会場へ立ち寄ってくださるお一人お一人の心に留まるような演奏ができればと願っています。

アレクサンドル・スクリャービン(1872-1915)

 

「練習曲」作品2-1 嬰ハ短調

「24の前奏曲」より作品11-11 ロ長調

          作品11-12 嬰ト短調

          作品11-24 ニ長調

 

スクリャービンの音の世界はなんと神秘的で美しいのでしょう。スクリャービンの和音には人を魅了する魔力があり、一度入るとなかなか抜け出せない独特な世界が存在します。初めて10代半ばでスクリャービンのピアノ曲を弾いた時の感覚を未だに覚えています。聴いたことのない和音の響きとメロディーの美しさに驚き、感動で涙が溢れました。しかし当時の私には彼の音楽を理解すること、演奏する事がかなり困難だったので挑戦しても挫折の繰り返しでした。今日こうしてまたスクリャービンに向かえることに感謝します。

 

スクリャービンは幼いころから飛び抜けて才能があるピアニストでした。14歳の時にモスクワ音楽院へ特別の通学が認められ、ピアノ、作曲、音楽理論を学びます。即興演奏が得意だった少年が楽譜に音符を残していったのがちょうどこの時期です。小柄で虚弱、学業が優秀だったスクリャービンはかなり気難しく、扱いにくい性格であったらしく、周りの教授達を困らせました。同級生にはラフマニノフがいました。手の大きかったラフマニノフに対し、10度が届かない程の手の持ち主だったスクリャービンは、超絶技巧の難曲を同級生のヨゼフ・レヴィーンたちと競い合い、右手首を痛めてしまい、とうとう右手が使えなくなります。回復するまでの期間左手だけを特訓し、この時期には左手のための作品が次から次へと生まれます。また、メロディー、伴奏を左手だけで広い音域を駆け巡ることから「左手のコサック」と呼ばれるようになります。手が小さいスクリャービンがどうして弾きにくくてアクロバティックなピアノ書法を築き上げたのかが昔からとても不思議です。

 

スクリャービンの色彩への関心は異常でした。共感覚(「文字に色が見える」、「味に形を感じる」、「音に色が見える」、など)の持ち主だったので楽譜にも彼が見える音と色の照応が書かれていてとても興味深いものです。私も調性、和声、感情などを色にするのが好きなのでスクリャービンが見えていた色が近いものだと共感が持てて嬉しくなります。スクリャービンは音と光、音と色彩が神秘的に交感する音楽を作曲しました。そして誰よりも感情、官能を音楽に表現することに熟達しています。43年の短い人生の中で初期、中期、後期と目まぐるしく作風が変化していくのですが、後期になると彼独自の宗教感、宇宙感が強く音楽に反映されています。右手が上手く動かなくなり、絶望感に陥った時期から神秘主義の世界にのめり込みます。その思想とはこうです。「音楽とは単なる娯楽ではなく、世界の背後に存在する神の智恵の表れである。だからこれを使って人々を法悦の境地へ導き、神との合一を経験させ、通常の人間を超越した存在へと解脱させることができる・・・」こうした思想から生まれた作品からは、調性を超越した「神秘和音」があちこちに見る事ができ、なんとも神秘的な世界を繰り広げられています。

 

今日私が演奏するエチュードとプレリュードはスクリャービンが若かったモスクワ時代の作品です。「練習曲」と「前奏曲」と題名を見ただけでもショパンへの敬意と憧れが表れています。練習曲は彼が14歳の時の作品です。14歳にしてこれほどの深い悲しみを感じる作品が作曲されたことは驚きです。前奏曲は23歳の時に書かれています。11番はショパンを感じさせられる優美な曲想になっています。12番は左右の対話によるミステリアスな曲です。ここではスクリャービンの後期に登場する神秘和音を想像する事ができます。24番はリストからの影響が見られます。和音連打が続く英雄的な旋律が大きなクライマックスを迎えます。

 

今年はスクリャービンの没後100年を記念する年。この特別な年にスクリャービンと向き合えることに幸せを感じています。

 

 

セルゲイ・ラフマニノフ (1873~1943)

 

ラフマニノフは身長195センチの大男で手もグローブのように大きく、12度の和音がとどく“魔法の手”をもっていたと言われています。

前奏曲Op.23はロシアのはてしなく広がった大地の連想から生まれました。ラフマニノフは見事にロシアそのものー 寒く薄暗い冬の静けさ、春の大気、大地のうっとりとさせる花、ロシア正教会の鐘の響き、ロシアにしかない独特の情熱を彼の音楽の中で表しています。

 

「前奏曲」作品23 第4番

 

強さを秘めた深い祈りであり、バルカロールの性格をもっています。静かに落ち着いた水の上をゆっくりと鳥が舞うようです。

 

 

「前奏曲」 作品23 第5番

 

弾力のあるリズムが容赦のない激情を表し、近づいてくる軍隊の猛攻がわざとリズムを中断させ、鋭くアクセントをつけて響く. . . 。

中間部では最初の激しさを忘れたかのように美しい旋律のメロディーが抒情的にたゆたっています。そして再び遠くの方からはっきりとした、恐ろしい力を伴って、自分の意志に従わせようとするようなリズムが聞こえてきます。不吉を予言する響きは勝利の行進へと変わっていきます。

 

 

「前奏曲」作品23 第6番

 

やわらかな詩的な様相で魅了します。この曲では、すべてのパートが顔をだしており、左手と右手がどちらもメロディーのようであり、そして伴奏のようでもあります。しなやかにまとわりつくフィギュレーションは、変わりやすい自然の背景を作り出しています。

 

ある時友人のE.F.グネシナがラフマニノフにこう尋ねたことがありました。

「この前奏曲はとても明るくて、喜びに満ち、胸がわくわくするような曲ですが、きっととてもよい日にお作りになったのでしょうね?」それに対して、ラフ マニノフは「そうです、あなたのおっしゃる通りです。この曲は私の娘が生まれたその日にすぐ、すらすらとできた曲なのです。」と答えています。

 

「私はロシアの作曲家です。そして、祖国ロシアは私の性格と私のものの見方に影響を与えています。私の音楽、これは私の性格の所産です。ですから、これは、ロシアの音楽そのものなのです」  -  ラフマニノフ

 

 

「ヴォカリーズ」 コチシュ編曲

 

ラフマニノフの歌曲、「ヴォカリーズ」はロシア、また世界中で最も愛されている名曲です。原曲はソプラノ、またはテノールのために書かれている「14の歌曲集」作品34からの最後の歌です。泣けてくるような美しいメロディーはラフマニノフ生前から非常に人気が高く、様々な楽器に編曲されています。ゾルタン・コチシュ(1952年~)はハンガリーのピアニスト、指揮者、作曲家です。ラフマニノフには格別な思い入れを寄せているそうです。たくさんある「ヴォカリーズ」の編曲の中でとても好きな一曲です。

 

 

 

セルゲイ・プロコフィエフ(1891~1953)ピアノソナタ第3番 作品28 「古い手帳から」

 

20世紀ロシアを代表する作曲家プロコフィエフ。私は幼い頃からエキセントリックで乾いたユーモアとアイロニーでいっぱいのプロコフィエフの音楽が大好きです。独特な響きが印象的で、プロコフィエフは強烈に個性的な作曲家です。5歳から作曲を初め、9歳でオペラを完成させ家族内で披露、13歳でペテルブルグ音楽院の入試試験を受けた時は天才が来たと大騒ぎされたそうです。幼い少年が「4つのオペラ、2つのソナタ、交響曲と大量のピアノ曲」の楽譜をずしりと抱えて試験場にやってきたら誰でも驚くと思います。当時試験官長だったリムスキー・コルサコフは「これが、私が心から願っていた生徒だ」と叫んだそうです。

 

しかし音楽院は革新的なプロコフィエフにとってあまりにも保守的で失望を味わいます。「才能はあるが未熟」、「乾いた抒情とグロテスクで暴力的なモダニズム」と周りからバッシングを受けます。ロシア革命後、プロコフィエフは一旦祖国を離れ、アメリカやフランスで活動しますが、やがて祖国へ戻ってきます。当時のソ連政府は芸術家、音楽家から自由の創作を奪いました。当局の意図に合致した作品だけが求められ、プロコフィエフは苦しみを感じながら作曲を続けます。彼の音楽がアイロニックに聴こえるのはロシア政府への反発、そこから来るものだと思います。

 

ピアノソナタ3番と4番には「古い手帳から」と題されていて、10年前の草稿を元に改定されたものです。プロコフィエフによれば、「展開部と再現部を少し変更したが、構想は大きく変えず、ピアノにより適した洗練された技法を使用するものにした」と残しています。単一楽章でめまぐるしいピアニズムが楽しめる初期の作品です。とてもロシア的な第二主題が所々に形を変えて登場し、最後には速度を速めてクライマックスへと導かれます。

 

 

 

モデスト・ムゾルグスキー(1839~1881)「展覧会の絵」

 

「展覧会の絵」には私が3年近く住んでいたサンクトペテルブルクの思い出がたくさん詰まっています。当時アンティークショップで買った85鍵のロシア製のアップライトに向かい、この曲にのめり込んでいたのが昨日の事のように思えます。初めて自筆譜を見た時の感動は忘れられません。今まで聴いてきた「展覧会の絵」のイメージからかけ離れたものでした。まるで未知の世界に足を踏み入れたような感覚に陥りました。「展覧会の絵」はたった20日間で一気に書き上げられおり、この大作には多くのドラマが存在しています。ロシアから一歩も出た事のないムゾルグスキーが感じたパリ、ローマ、ポーランドなどの様々の風物の描写力とイマジネーションは驚異的です。しかしそこには想像を絶する苦しみを生き抜かざるおえなかった民衆の心、それを見続けてきたロシア正教会の鐘の音(心)が存在し、何よりもそれをムゾルグスキーは伝えたかったのではないかと思います。人々の苦しみとの共感、そこに深い感動を覚えます。

 

1873年に建築家であり画家でもあるヴィクトル・ガルトマン(1843~1873)が若くして急に亡くなります。親友として4年間付き合ってきたムゾルグスキーにとってこの出来事はあまりにも大きな衝撃でした。その翌年、ペテルブルグの美術学校で遺作展が開かれ、そこでガルトマンが残した数多くのスケッチやデザイン、設計図を目にした事が作品への動機となっています。ガルトマンは無名の建築家、画家でありましたが、公共図書館のデザインで金賞を獲得し、フランス、ポーランド、イタリアなどへ4年間旅をすることが許されました。生涯外国へ出ることがなかったムゾルグスキーにとって、親友のガルトマンが話したり見せるスケッチなどが重要な情報源だった事に違いありません。

 

ムゾルグスキーは高い理想を持ち続けて仕事に励んで生きてきましたが、彼の短い人生の後半はアルコール中毒に陥り、ほとんどの作品を完成させることができませんでした。「展覧会の絵」を書いた時期もアルコール依存症の狂気の症状が出ていましたが、それ以上に一気に書き上げるほどの創作意欲が湧き出ています。1874年6月に友人宛の手紙に残された手紙です。「私の中でボリス・ゴドノフを書いたときのようにガルトマンが生き返り、創作意欲を掻き立てられる。周りの空気が音と想いでいっぱいになり、ペンを置けない状態でいる。ここまではすべてうまくいっている」

 

「展覧会の絵」は間違いなく19世紀ロシアが生んだ最も独創的な傑作です。

 

 

プロムナード

オープニングは「ロシアのスタイルで」と書かれたプロムナードで始まります。ガルトマンの遺作展に足を運ぶムゾルグスキーの歩く様子が伺えます。このテーマはこれから始まる組曲のいろんな所で形を変えて登場します。絵から絵に移動する、または展覧会場の部屋から部屋へ移動する時の「歩み」です。

1 グノーム (地の精)

ロシアの伝説に登場する不気味なこびとの妖怪。森の奥に住んでいて奇妙な足取りで動き回ります。時々大嫌いな人間を脅かすために木の上から突然落ちてきたりします。森の地底の憂鬱な雰囲気の中で、人間が嘆く姿をグノームは心地よさそうに見ています。とても気味が悪いグロテスクな曲です。

2、古城

冒頭の優しくて美しいプロムナードが幻想的な中世のお城へ連れて行ってくれます。この曲だけ’Il vecchio castello‘とイタリア語のタイトルがついていて、6/8拍子のシチリアーノ風に書かれています。古城の前でトゥルバドール(吟遊詩人)が、片手にリュートを持ちながらバスバリトンの声で悲しげに歌います。恋がきっと終わったのでしょう。哀愁漂うメロディーはとても美しく、遠くの方で鐘の音(左手のバス)が最初から最後まで鳴っています。

3、テュイルリーの庭

重厚なプロムナードがパリへと導いてくれます。プロムナードの最後はまるで次の絵に目が止まり、立ち止まるかのように曲も止まります。

「遊んだ後の子供の喧嘩」と自筆譜に書いています。気持ちがいいお天気の日にたくさんの子供たちが公園で遊びまわっています。小さな子供たちの喧嘩をお母さんがなだめたり、子供がお母さんに甘える姿が伺えます。

4、 ビドロ (牛車)

この組曲の中で一番しんどい曲です。ポーランド語で「ビドロ」とは「牛の集団」のことですが、それよりも「家畜のごとく虐げられた(ポーランド)の人々」という意味があります。ポーランドの田舎、重たくて動かない車輪を牛と農民たちが動かそうとしている様子。圧制の下で苦難に満ちた生活に黙々と耐える農民たちの苦しみが伝わります。

 

実は「ビドロ」を描いたガルトマンの作品は発見されていません。ムゾルグスキーは友人のスタノフ(音楽評論家)に「僕と君の間では、サンドミールで描かれた「ビドロ」は牛車のことにしておこう」と書いた謎めいた手紙が残っています。自筆譜には最初に書いた題名をナイフで丁寧に削り取り、その上に「ビドロ」と書き直した痕があります。後で「ポーランドの反乱」というタイトルの鉛筆スケッチが発見されますが、最終的には出版の時に政治的配慮をして仕方なく「牛車」に置き換えたのだと思います。この曲の中にはムゾルグスキーの怒りと虐げられた人々への限りない共感が込められています。

5、卵の殻をつけたヒヨコの踊り

とても悲しげなプロムナードで始まり、次の作品へと移ります。プロムナードの最後にはふとヒヨコが生まれる瞬間が伺えます。

ガルトマンが「トイルビ」というバレエの舞台衣装のために書いたデッサンからインスピレーションを受け、このユーモラスで可愛らしい曲が生まれています。殻の中からヒヨコが足を出してピヨピヨと踊っています。

6、ザムエル・ゴルデンベルグとシュムイレ 

お金持ちのユダヤ人と貧乏なユダヤ人の2枚の絵から生まれた曲です。「太った男と痩せた男」とも書いてあります。裕福で傲慢なゴルデンベルグから始まり、貧しくて気弱なシュムイレがガタガタ震えながら何かを訴えようとしています。2枚の絵を一つの音楽にし、対話をさせているムゾルグスキーの発想に感動します。

ムゾルグスキーはユダヤ人ではないのにペテルブルグの墓地にある彼の墓石にはなんと「ダビデの星」が刻まれています。虐げられるユダヤ人への共感だと思います。当時帝国ロシアに住むユダヤ人にとっては受難の時代でした。「本当のロシア人の姿は心優しく、誰をも恨む訳ではなく、耐え抜く強い民族のはずだ、今の政治が間違っている」と訴えているかのようです。ムゾルグスキーの生き方そのものが、この組曲全体に反映しています。

7、リモージュの市場 (一大ニュース)

最初のプロムナードと同じオープニングで展覧会の後半が始まります。今回は展覧会場の建物から建物へと移動します。これから先は一度もプロムナードが曲としては登場しません。(曲のテーマとしては所々形を変えて登場します)舞台はパリから南へ400km下ったリモージュの市場です。「女達が喧嘩をしている。激昂して掴み掛からんばかりに」と自筆譜に書いています。朝早く活気の溢れた市場でいろんな会話が飛び散ります。一大ニュースとは、肉屋のおじちゃんが花屋のおばちゃんと浮気をしたのな、とかを想像します。最後は市場のみんなの会話が同時にテープの早送りのように飛び散って終わります。

フランス革命から解放されて生き生きと生活しているフランス人たちを見てガルトマンは何を感じたのでしょう。

8、カタコンベ (ローマ時代の墓)

ローマ時代に弾圧されたキリスト教徒の地下墓地にガルトマン自身がカンテラを持って登場する絵がテーマです。自筆譜には「亡くなったガルトマンの創造精神が私を頭蓋骨へと導いている。やがて頭蓋骨は静かに輝き始める・・・」と書いてあります。この曲はガルトマンへの鎮魂歌です。

次に「死せる言葉を似て死者と共に」と題した曲に繋がり、沈痛なメロディーが続きます。最後は頭蓋骨が静かに輝きながら、ガルトマンの魂が天へと登っていくような気がします。

9、鶏の足の上に建っている小屋 (バーバ・ヤガー)

バーバ・ヤガーはロシアのおとぎ話に登場する恐ろしい魔女で、人骨の柵に囲まれた鶏の足の上に建つ小屋に住んでいます。窓がないので煙突から出入りしているとロシアで聞きました。ロシアの子供達はバーバ・ヤガーが来るぞと脅されると急におとなしくなるそうです。人を食べるとも噂されるほど怖がられてる魔女です。中間部はバーバ・ヤガーの頭の中で考えている事だと思います。「フムフム、今度はどんな毒を入れてやろうか」とひらめきを感じながら毒を作っているかのようです。最後は喜びの悲鳴を上げながらほうきに乗ってロシアの森から街のほうまで飛んで行きます。

ガルトマンの原画は時計のデザイン画で鶏の二本足が台をふまえていて、その上にバーバ・ヤガーの小屋が建っています。

10、キエフの大門

ウクライナ(旧ロシア)の首都、キエフの大門の絵。ガルトマンが最高の評価を得た作品です。この門はロシア民族の誇り。ロシアの広大な大地にロシア正教会の鐘の音がクライマックスに向けて冷たい空気の中で鳴り響いていく様子は見事です。途中で現れるロシア正教の祈りと賛美は、亡くなった友人へ対しての永遠に滅びぬ友情の誓いに聴こえます。想像を絶する残酷な歴史を見てきた鐘の心が音となって壮大なフィナーレに向かって広がっていきます。